駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

裁判官山口良忠と、差別に立ち向かった沢田美喜

結果的に、他の生き方を許されなかった人たちがかつていました。

裁判官山口良忠と、差別に立ち向かった沢田美喜

夜はいつも真っ暗です。けれども我々は、やがて朝が来ることをよく知っています。だからぐっすりと眠り、ゆっくりと目覚めます。

けれどももし、朝が来ることが約束されていない場所に置かれたら、我々はいかにして生きるのでしょうか。

山口良忠と沢田美喜はまさに、朝が来るかどうかわからない環境で生き、対照的な足跡を残した人たちでした。

山口良忠が亡くなったのは昭和22年のことです。

死因は栄養失調がもとで肺浸潤(はいしんじゅん)を併発し、死亡したとあります。戦後間もないことなので無理もないと考える方もいるかもしれませんが、山口は裁判官でした。当時の人たちの中では裕福な部類です。裕福な人たちは配給だけでなく、ヤミ市で食糧を調達して飢えをしのぐことができたのです。

現在でも、それなりの地位にいる人はそれなりの場所から、それなりの金品を授受してそれなりの生活をしているものです。地方議員の多くが切手を大量購入している事実が最近、明るみに出ましたが、まさしくそれなりの地位にいる人は底辺の暮らしなどに、何の興味も持たないのが現代の通例です。

なのになぜ、山口は栄養失調などで命を落としたのか。

しかも彼が亡くなったのは弱冠33歳のときでした。裁判官としても一個人としても、まだまだこれからという年齢だったのです。

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ミニマリストは究極のダイエッター

たとえ私のように罰当たりな人間であったとしても、シンプルライフやミニマリストに対して多少の興味は持っています。

ミニマリストは究極のダイエッター

前回の記事でミニマリストの定義について、多少の不信感を書きました。しかしミニマリストという言葉の響きには、なぜか特別なものを植え付けられてしまいます。

昔アラブの偉いお坊さんが、恋を忘れた男に与えた、しびれるような香りがいっぱいの、琥珀色した液体、それと同じほどの誘惑をミニマリストという言葉からは感じるのです。

人それぞれが、それぞれの暮らしぶりで満足するためには、それなりの法則が必要です。

隣の芝生が青く見えるのは、本当にそれが青いわけではなくて、私の心が持っていない物に対して、持てないゆえの執着を拭いきれないからです。

私は果たして、どんな暮らしを望んでいるのでしょうか?

もちろん贅沢三昧、放蕩気楽な生活に魅力がないわけではありません。欲もあります。自分の心の中を覗いてみると、無尽蔵に湧き出る欲望の泉を目の当たりにして、自分自身のことながら、そら恐ろしくなります。

あれが欲しい、これが欲しい、手に入った物を顧みることなく、手に入った物に対する情熱を忘れて、手に入らない物を欲してやまない浅ましい自分自身を見せられます。

鏡を見るまでもなく、見せられるのです。

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ミニマリストブログ、ケチとの違い

私はもともと、ミニマリストというのは、都会に暮らすアーミッシュのようなもんだと思っていました。

ミニマリストブログ、ケチとの違い

しかしよくよく調べてみると、あまりはっきりとした定義がありません。人によって捉え方がまるっきり違うし、これぞミニマリストというものが、見当たらないというのが正直なところです。

私の認識不足も、確かにあります。しかし私はミニマリストというものは、もっと哲学的な要素が含まれているもんだと勝手に解釈していました。その意味では少しがっかりしています。

ミニマリストというのはどうやらもっとお手軽で、現代的な人種のことをいうのかもしれません。スティーブ・ジョブズの黒のタートルが、ミニマリストの象徴と言うような人もいるようですし、ひょっとしてファッションか、などと疑ったりもしています。

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早漏白書、頂点から一気に奈落の底へ

世界一、速い男はいったい誰なのか。

早漏白書、頂点から一気に奈落の底へ

悪のりは醜悪ですが、止まらないときもあります。人によっては不快に思われる方もいますので、田舎道で肥溜めをよけるが如く、歩きやすい道を選んでください。

オリンピックで常に話題の中心になるのは、スピードです。

せっかくの熱い夜、卒業のダスティン・ホフマンはミセス・ロビンソンから嘲笑を受けました。

にっこりとあしらわれてしまいます。けれどもベンジャミンにとって救いだったのは、ミセス・ロビンソンが決してスピードを口にしなかったことです。

世界陸上をテレビで垣間見るたびに、スピードへの未知への扉を開けてみたくなります。それはもはや、男たちにとっての宿命です。

果たしてウサイン・ボルトが世界で最速の男なのか、疑問はやがて後悔へと続く片道切符、二度と引き返すことはできません。

残念ながら。

果たして彼が最速か、彼よりも速い男はこの世に存在するのかしないのか。男は男同士で常日頃から疑心暗鬼になりつつも、トイレの中で隣の金隠しを必ず、覗きます。

やつは本当に速いのか、それとも俺のほうがもっと速いのか。

スピードだけを競うのであれば、なけなしのプライドを持ち出す必要もなく、誤解が誤解を生んで誰が本当に速いのか、うやむやでは決して済まされない午後の、紅茶。

こうなったら基準を決めるべきだと、フェラーリのセバスチャン・ベッテルがクレームをつけたとしても、なんら不思議ではありません。

何秒なら速くて、何分ならほどほどなのか、男のプライドをかけた戦いに、こうなったらきっちりした数字を示す以外に方法はない。無造作な女性からの一言「早かったね」に惑わさることをやめ、かつてウサイン・ボルトがそうであったように、貧困から世界を目指すスピード自慢を後押しします。

初めて真理を解き明かす研究者のように、私の心はわくわくしながらも、心のどこかで引きつる乙女のように無垢な思いをかみしめています。

それでも知りたいのです。誰が最速の男なのかを。

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鼻毛、陰毛疑惑についての一考察

鼻毛は現在、恥じてしかるべき冠をいただいております。

鼻毛、陰毛疑惑についての一考察

まさしく下衆な陰毛扱いです。

このような恥辱は鼻毛にとっても心外きわまりないに違いなく、このままの勢いで公然と陰毛などと言われた日には、誰だって次に鼻がなんと呼ばれるのか、考えただけでも身の縮む思いがします。

しかし鼻毛には鼻毛なりの事情が、歴然と存在します。かなり重要な働きを担っているにもかかわらず、誰もがそれに対して興味を示してくれません。眉毛やまつ毛、せめてモミアゲと同等かそれ以上の扱いを受けてしかるべきです。

なにゆえに同じ毛であるにもかかわらず、鼻から大きくはみ出た口髭のたぐいはもてはやされて、ひっそりと慎ましく生え続ける鼻毛が、ここまでの恥辱を受けるのか。涙なくしては語れません。

絶世の美女の鼻の穴から、一本の鼻毛がしゃしゃり出ている、そんな光景を見た人は、鼻毛を金輪際、嫌悪します。悪夢です。トラウマです。

それでも鼻毛には鼻毛だけが持つ、意義と存在価値が確かにあるのです。

正当な評価を得られない不幸な者たちは、人間社会にもたくさんいます。

しかし彼らには彼らだけの問題があるかもしれません。

上司に口答えをする、同僚とうまく付き合えない、挨拶ができない、残っているのに、ごちそうさまをついつい言ってしまう、数限りない理不尽な事柄をトッピングしながらも、気のいい奴らは日々をことごとく耐え忍んで生きています。

何もせずに何の称賛ももらえないのなら、それはそれで自業自得と言ってよく、どこまでいっても釈迦に説法だと言えますが、しかし世間には、他人(ひと)からは見えない、決して見ようとしない成果のために、身を粉にしてく働く者たちがやはりいます。

鼻毛は彼らにとっての最後の希望です。

だからこそ、私は誠意をもって、鼻毛を心から弁護したいと考えております。

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