駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

ミニマリストA子のたった26年間の人生

このカテゴリーで書いていくのは、ミニマリストA子こと、私の娘の話です。

ミニマリストA子のたった26年間の人生

私の長女、A子は26歳で他界しました。彼女の慎ましい人生はまさに、ミニマリストそのものだったと述懐しています。

この記事はカテゴリー「駅前第四ビルが愛した植樹」の、一番、最初の記事です。

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まず初めに書いておきますが、ミニマリストと言っても、この記事には洒落た写真や、ファッショナブルな生活を想像させるような文章は一切、出てきません。

ミニマリストというものが、そういうものだとお考えの方には、このカテゴリーの記事は相当、期待外れだと思いますので、早々に他のブログをお探しくださるようにお願いいたします。

失礼なお断りをすることをお許しください。

ミニマリストA子が生涯で一番、高い買い物をしたのは、16万円ほどのパソコンです。

アコムのペンタブレットが付いていて、彼女はそれで、デザインの仕事を時たま頼まれてしていました。

彼女は生まれながらにして、ハンデを背負っていました。アトピー性皮膚炎だったため、身にまとう衣服は下着から何から、化繊の物はだめで、母親が買ってくる肌に優しい衣服を死ぬまで身に着けるしかなかったのです。

母親が買ってくる衣服は、確かに肌には優しかったでしょうが、ファッションとしては、いかにも時代遅れです。

たとえ時代遅れであったとしても、肌に優しくて母親の愛情がいっぱい詰まったA子の衣服は、今でも彼女の部屋でひっそりと眠っています。

私の友達がそれを見て、質素な子だったんだなと呟きました。

冗談じゃありません。

断じて言いますが、A子は質素ではありませんでした。彼女は最小主義でないと、生きられなかったというのが、真相だったんです。

本当なら、年頃の女の子のようにオシャレをしたかったでしょう。体に悪かろうがなんであろうが、自分を可愛く見せる衣服を身につけたかったに違いないです。

ミニマリストA子の病気は、生まれながらのものでした。

まだ這い這いもできない赤ちゃんのころ、顔中をかきむしって、枕が血で真っ赤に染まっていたのを覚えています。

小学生や中学生のころは、アトピーが少しは落ち着いていました。ところが成人近くになって、今度は天疱瘡を発病したのです。

天疱瘡と言えば、国が指定する難病の一つです。

それを気に病んだ娘は円形脱毛症になり、母親に向かって、このまま髪の毛が全部抜けてなくなってしまうのかと、泣いて訴えていました。

なんと運のない子でしょうか。神様から見放された彼女は、大学を卒業しても就職すらできず、家で療養するしかなかったのです。

そんなA子が亡くなる一年ほど前、派遣社員として三か月ほど勤めたことがありました。

すると彼女はさも自分が一人前になったかの如く、私に源泉徴収がどうのとか、扶養家族がいなくなると、私の税金が上がるなどと生意気なことを言い出したのです。

たった三か月間、勤めて、たった三か月分の給料をもらったのが、彼女にとって生涯で得た初めてで、しかも唯一の収入でした。

だから私は多少の生意気など気にもせず、彼女がにっこりとほほ笑みながら言いたい放題するのを、じっと眺めていました。

私は娘が亡くなってから、彼女が生まれてからの出来事を一からずっとなぞっています。娘を亡くした父親なんて、それこそ惨めなもんです。

すると驚くことに、ほんの些細なことまで詳細に、私の記憶はA子をことを覚えていたのです。

私たちは昔、家族でサーカスを見に行ったことがありました。大きなテントの中に入ると、そこはまさに別世界、子供以上に私のほうがわくわくと前で繰り広げられるショーを楽しんでいたのを覚えています。

あのとき長男は、もう一人で歩いていました。私は乳母車を押していたのですが、乳母車に乗っていたのが、A子であったのか、それとも次女のK子であったのか、そのあたりがやや曖昧です。

同じ疑問は、東大寺を訪れたときにもあります。

家族で東大寺に遊びに行ったとき、いきなり雨に見舞われて、私は乳母車をまるでF1自動車を運転するがごとく操って、乗っていた子供が目を丸くして驚いていた記憶があります。

それがA子だったのか、それともK子だったのか、私の記憶はかなりの情報量を集めているにも関わらず、細かいところがやや抜け落ちています。

オフクロが生きていれば、ほんとにお前は間抜けやと、笑いながら謗るに違いありません。

私は確かに間抜けです。ですが妻も驚くほどの子煩悩で、小さなころから休みになれば必ず、子供を連れて遊びに行きました。

今はなき、私たちのおとぎの国を数え上げたらきりがありません。

奈良ドリームランド、エキスポランド、びわ湖タワー、フェスティバルゲートなどなど、消えてしまったおとぎの国は、ひょっとしたらA子のためにだけ、この世に現れた特別の場所だったのかもしれないと私は勘ぐっています。

子供らが小さい頃、私たちは奈良に住んでいました。

懐かしい思い出をなぞれば、まだまだきりがありません。

私たち家族しか知らない道で(嘘です。本当はみんな知っています)奈良公園へ出かけました。大和川の土手沿いの道は、背の高い草がうっそうと茂っていて、それをかき分けるように進む、私たちを乗せた車はまるで、カブトムシにでもなったかのように、唸りながら進路を取ります。

アルボール、知る人ぞ知る、木工製品の店です。ここで子供らは、部屋に飾るおもちゃを探しました。アルボールからの帰り道には昆虫博物館があり、すぐ近くまで飛んでくる大きな蝶々に驚いた子供たちは、私の陰に隠れました。

できることならあのときのように、子供らが私の陰に隠れて、一生、幸せに暮らしてくれたら、どんなに嬉しかったことでしょうか。

昆虫博物館を出てしばらくすると、もう辺りは暗くなっていて、私たちは不二家で晩飯を摂ります。

晩飯と言えば、子供らが小さなころ、洒落たレストランを予約したことがあったのですが、入った瞬間に店の人が飛んできて「うちでは小さいお子さんの入場は、ご遠慮させていただいています」と、断りの口上を突き付けられました。

うるさいのは自分の子でもよくわかっているのですが、できれば予約したときに言って欲しかった。

それをお店の方に伝えると、向こうも向こうで、子供の年齢を確かめなかったのはうちの落ち度だとおっしゃって、今回だけはOKですと言ってくれました。

でも入ったとたん、私の子供たち三人は、奇声を発しながら店の中を走り回りました。こうなると私としても気兼ねするほかなく、食欲も完全に失せていたというのが正直なところです。

手のかかる子供たちとの思い出は、親にとってはまさしく、宝石と同じほどの価値があります。

子供は手がかかるうちが一番、かわいくて、どんなに恥をかかされても、私はあのころに戻りたいと毎晩のように祈っています。

ここで話が少し変わります。

これから超常現象のようなことを書きますが、私はいたって正気ですので、まずそれを断っておきます。

信じられないかもしれませんが、私はずっと昔、ひょっとしたら長女の死を予知していた可能性があります。

こんなことを書くと、怪しく思われるかもしれませんが、今から考えるとそうとしか思えない出来事が私にはあったのです。

私には子供が三人います。長男がY男で、長女がA子、次女がK子と言います。

三人が小さなころ、私は妻の実家へ嫁と子供を連れて行きました。仕事があったので、私だけ先に帰ることになったのですが、帰り道の車内でたった一人、私はなぜか大泣きしたのです。

広島地方から大阪までの道のりは、やや退屈です。

それでなくても、たった一人で長時間、車を運転していると、いろんなことを考えるものです。あのときの私もご多分に漏れず、車内で子供の将来について、軽い気持ちで想像していました。

大きくなって学校を卒業する。就職して一生懸命に働き出す。それから結婚をし、子供を持ち、やがて孫が生まれ、家族に看取られながら、安らかに彼らも逝くのだろうか。

自分もまだ若かったのに、子供が年を取って生涯を終える場面まで想像するのだから、親というのはどこまでも大変です。

だけど親になれば誰もが同じ想像をし、同じように願うはずです。

子供の一生が、ひたすら幸福であるようにと。

あのときの私の想像など、他愛もないものでしたし、それほど深い意味などなかったはずです。なのに私はハンドルを握りながら、なぜかボロボロと大粒の涙をこぼしたのです。

理由も原因もわからず、ただ悲しくて辛くてどうしようもなくて、無抵抗のままで感情の波に押しつぶされていました。

それから20年ほど経ったのち、長女は26歳の若さで他界しました。そして長女が亡くなったとき、私はあのときのことをはっきりと思い出したのです。

20年ほど前の私は、生涯で一番不幸な瞬間を、とうに知っていたとしか思えません。

親はひょっとすると、子供の将来のことまで、何らかの力で知らされるのかもしれません。

だとしても、無力であることに変わりはありませんが――。

どちらにしても私にとって、この記事、このカテゴリーは冒険以外の何ものでもありません。

亡くなった娘のことをブログで書くのは、胸が痛いです。

それでも書こうと決意したのは、彼女が確かに生きて、存在していた証を残してやりたいと、切に願っているからです。

墓に刻まれた文字ではなくて、私が書く文字で、少しでも多くの人に彼女のことを知ってもらいたい、そんな大それた望みを持つのは、私が彼女の父親だからでしょう。

ただし恋々とつづられた父親の悲哀などは、私が第三者の立場だとしても、読みたいとは思いません。

愚痴も同じでしょう。

私は彼女の視点から、彼女の人生を想像しながら書いていきたいと考えています。

長女の目や耳を借りて、彼女の人生を振り返ってみたいのです。

女々しい物語は私が最も嫌う種類のストーリーなので、決してそうならないことを、書き始めの記事で誓います。

つたない文章の長い記事を、最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました。

感情があふれるままに書いたので、見苦しい部分があるかもしれませんが、どうぞお許しください。

次の記事は、このカテゴリーの象徴的な記事です。「駅前第四ビルの憂鬱な日々」へ続きます。

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