読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

耳かきをしてもらっていたら、お姉さんが叩かれた

先日、珈琲王子さんの記事を読ませてもらっていたら、記憶の中から古い映像が一つ、飛び出してきました。

耳かきをしてもらっていたら、お姉さんが叩かれた

四畳半くらいの部屋です。まだ私は幼稚園にも行っていないくらいの年齢でした。薄暗い部屋の中でお姉さんの膝に頭を乗せて、耳掃除をしてもらっていたのです。

ところが突然、部屋に入ってきた男の人にお姉さんは叩かれて、私の頭を膝の上に乗せたままで、涙をぽろぽろとこぼし始めました。

衝撃的な映像でした。

あまりにも刺激が強かったために、あのときの映像は私の記憶の中で消えないシミのようになって残っています。

でも今から考えると、お姉さんが叩かれたのは、幼かった私が原因だった可能性があります。

ひょっとすると、私が犯人だったのかもしれないのです。

珈琲王子の記事に書かれている、近所で子供を育てるというような環境は、実は大阪の下町ではかつて本当にありました。

coffeedrip.hatenablog.com

祖母のことを記した記事にも書きましたが、祖母はよく近所の子供たちを集めて、映画館に連れて行きました。

www.8ssan.com

祖母の心臓の強さは、類まれなものがあります。

子供の数はざっとみても十人以上です。映画館は子供はタダだったので、完全無料、まったく人手いらずの保育所でした。しかもなんと、巨大なスクリーン上では、ヤクザ映画が上映されていたのです。

はっきりとは覚えていませんが、なんせ東映系の映画館だったもので、おそらく切った張ったの世界が繰り広げられていたんではないかと、想像しています。

祖母は我々、ガキ連中を映画館に放り込むと、そそくさと帰って、飯の支度をするわけです。

映画館の従業員にしたって「いい加減にしてくれよ」的な発言は何度かあったはずです。が、私たちはかなり長い期間、映画館を遊び場にしていました。

映画館の暗い空間は、公園とはまた違った遊びを私たちに提供してくれました。

まさに子供は遊びの天才だと言われるゆえんです。

ただし映画館を出て、外気に触れた途端、私はいつも、頭が少し痛くなりました。

あの頃の映画館と言えば、今とは違い、タバコであろうが何であろうが、吸い放題です。あれだけ換気の悪い室内で、数人の客が常時、タバコの煙を吐き出していたのだから、頭のどこかに異常が出たとしても不思議ではありません。

とにかく当時の映画館はまさに、不健康極まりない、完全無料、セルフサービスの保育所でした。

それでも今から考えれば、共稼ぎの家庭はすごく助かったのではないかと思います。私の両親は二人とも働いていました。

それにしても、祖母のバイタリティと厚かましさには頭が下がります。

なんせ十人以上の子供の世話を、たった一人で、しかも片手間で行っていたのだから、十万馬力と言っても過言ではありません。

あの頃の貧乏は今とはまったく質が違います。

貧乏に本物も偽物もないと思うかもしれませんが、住んでる家、服、靴、顔、足、指の先に至るまで、貧乏な者は一目で貧乏人だとわかりした。

それでもみんな、必死で生きていたのです。朝から晩まで働いていました。お父さんもお母さんも、祖母も叔母さんも、みんな何らかの仕事をして、食べる工夫をしていました。

だからこそ子供は子供で、どこかたくましくて、やんちゃで嘘つきで、へそ曲がりできかん坊が多かったのかもしれません。

子ども同士でいじめや仲間はずれなど、問題があまり起こらなかったのは、そこにしか居場所がなかったのをよく知っていたからではないかと思います。

子供は子供で、それぞれみんな身にしみていました。追い出されたら、どこにも行く場所なんてないのだと。

野垂れ死ぬしかないのだと。

親が子供を殴る時代でした。先生も宿題を忘れた生徒を、たとえ女子であろうとも顔を平手で叩きました。

叔母が私を幼稚園に迎えに行くと、柱に縛り付けられていた私を見て驚いたと、後年、笑いながら話してくれました。

そんな時代でした。

貧富の差は子供にとっても重大でしたが、金持ちと貧乏人の色分けは、今よりもずっと単純だったと言えます。

テレビがあるような家は、近所に一軒しかなくて、夕方になると、仕事を終えた人たちが、皆、一番の金持ちの家に集うのです。

ベンチャラを言い合いながら、揉み手をして、ビールを片手に座敷の奥のほうにあるテレビをのぞき込む。それが大人たちの唯一の贅沢でした。

私たち子供も、物珍しさと、そこらに置かれた菓子を目当てに参加します。

毎日が宴会で、酔っぱらうと大人たちが大きな声でくだをまき、時には言い合いだけではすまずにケンカになる。乱暴この上ない夜が延々と、続くこともありました。

それが日課でした。

おそらく高校生くらいのお姉さんだったと思います。

私を殊の外、かわいがってくれて、銭湯に連れて行ってくれたり、部屋にあげて耳掃除までしてくれたり、やたらと世話を焼いてくれました。

だからと言ってあの頃は、別に珍しいことではありませんでした。お姉さんは私の他にも何人か面倒を見ていましたし、他のお姉さんたちにしたって、近所の子供を可愛がるというのは、普通のことだったように記憶しています。

でも幼い子供たちにとっては、かなりの冒険だったのも事実です。

私にとってあの部屋の記憶は、どことなくエロティックで、それでいて視界が狭く、まるでどこかに監禁されているような錯覚がありました。

お姉さんは私の頭を膝の上に乗せて、いつものように耳掃除を始めようとしていました。そのとき突然、背後の障子が開き、若い男が乱入してきたのです。

男は大きな声で怒鳴り声をあげたかと思うと、私の記憶が正しければ、お姉さんの頬を平手打ちしました。

幼かった私は、あの男の姿形をまったく覚えていません。

まるで真っ黒な人形が、悪魔のような迫力で襲い掛かってきたかのように思いました。

私は心底、怖かったと白状します。でも私の喉から声が漏れなかったのは、すぐ目の前で、お姉さんの瞳から涙がこぼれ落ちるのを目撃したからです。

不謹慎なことを言いますが、私はあの場面を、あれから何度も思い出しています。甘美でしびれるような瞬間でした。

あれ以上にエロティックな画を、私は知りません。

私の中のもっとも柔らかい部分が、思い出すたびに苦しいほどの悲鳴をあげるのです。

けれどもあの場面をとりわけ美化しているのは、ひょっとすると私だけかもしれません。悪魔のような若者は、ひょっとするとお姉さんの兄さんだった可能性があります。

怒鳴ったのは「よそ様の子の耳掃除なんかして、怪我でもさせたら、どうするつもりや」とでも言ったのでしょう。

兄妹なら、怒って叩くくらいのことはあったでしょうし、あの涙にしたって、自分の記憶を私自身が無意識で改ざんしている可能性も、絶対にないとは言えません。

それでも私はときおり思い出すのです。

胸が苦しくなるほど狭い部屋で、畳の臭いが肺まで満たしているあの瞬間を。

いきなり後ろの障子が開いて、私の一番大事なものを連れさろうとしたあの男を、私は心の底から今も、これから先もずっと憎み続けています。

最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

この記事と関連が深い記事は次の二つです。

www.8ssan.com www.8ssan.com

読んでいただければ、嬉しいです。

他のカテゴリーの、先頭の記事を紹介します。

ルーツ: www.8ssan.com

わるぢえ: www.8ssan.com

別の世界に住む家族: www.8ssan.com

駅前第四ビルが愛した植樹: www.8ssan.com

逆さに見える空: www.8ssan.com

www.8ssan.com

などがあります。時間があれば、ぜひ読んでください。よろしくお願いします。