駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

のろまなゴリラが、スリムなチンパンジーに求愛する

天王寺美術館の前は、まるで舞台ようです。

のろまなゴリラが、スリムなチンパンジーに求愛する

真上から降り注ぐ雨はシャワーのようでした。社長と私は嵐に翻弄されていましたが、ただ一人、小春だけは水を得た魚のように、嬉々として立ち上がりました。

「嵐はまさに、ファンタジーの入口だったのです」からの続きです。

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前の記事から読んでもらったほうが分かりやすいですが、この記事だけでも完結しているので、問題はありません。

美術館の前に飛び出した小春は、足を揃えて大きく飛び跳ねました。

両手を広げて笑い声をあげています。

私は小春の姿を眺めながら、妙な感慨を抱いていました。昔、オヤジがよく聞いていた、ナベサダの《カリフォルニア・シャワー》という曲を思い出していたのです。

小春の腰の辺りには、バネでも仕込んであるかのようでした。

ジャズのように体を叩くシャワーを浴びながら、私たちの前で、何度も弾んで見せます。そんな小春を追い掛ける社長の姿は、どう見ても滑稽としか言いようがありませんでした。

片手に使い捨ての傘を持ち、小春が空へ逃げるのを懸命に阻もうとしています。

のろまなゴリラが、スリムなチンパンジーに対して、求愛しているかのような光景です。美術館前の石畳が舞台のように見え、階段の下には観客が大勢いるかのように錯覚しました。

「こんなにずぶ濡れになって、風邪を引くやろ。おい、何とかせい」

何とかせいと言われても、困ってしまいます。小春には一切の理屈が通用しません。常識なんて、まるで関係がなかったのです。

興味が湧くか湧かないか、感情だけがすべてでしたから、なおさら厄介でした。

だからといって社長に命じられて無視できるほど、私にしたって根性がありません。

パンツまで濡らすほどの雨を物ともせず、何の因果か私と社長は、小春を取り押さえるために、走り回っていました。

さすがに辺りからは人影が消えています。

追い掛ければ追い掛けるほど、小春は「きゃっきゃっ」と喜びました。

こうなると高所恐怖症もお構いなしと言わんばかりに、階段のそばへ近寄って、懸命な顔をしながら飛び跳ねるんだから、本当に始末が悪いです。

「危ないやろ」

社長は真っ青な顔をしています。

階段の下は降りしきる雨のために、ひどく煙っていました。真下にあるはずのゲートでさえも、行方不明です。

視界を遮るものが小春の恐怖心を和らげたのか、とにかく上機嫌に暴れていました。

そのうち小春は、屈んで足もとに視線を向けます。黄色いハイヒールを脱ぎ捨てて、ヒールの辺りを握りしめ、飛び上がるようにして立ち上がりました。

小春は首を反らしています。

大粒の雨が落ちてくる空に、顔を向けていました。白い肌の上で雨粒が破裂します。目は閉じられていましたが、心地よさそうに口もとだけが綻んでいました。

長い髪の先から、雨の滴がしたたり落ちています。首筋の辺りを流れる雨は、衣服の内側を通って、潔く地面の上に着地しました。

小春は細い腕を大きく伸ばしています。上体を仰け反ったあと、勢いをつけて二本の腕を振り下ろしました。

「えいっ」

なんと小春は、両手に持っていた黄色いハイヒールを階段の下へ放り投げました。

「おいーっ」

社長のガナる声が耳に痛かったです。

「取って来い」

ひどすぎる仕打ちだと思いました。だけど社長には逆らえません。

私はすごすごと、階段の下へ向かって駆け出しました。

片方はすぐに見つかったのです。

十段ほど下りたところに転がっていました。ところがもう片方が見あたりません。とにかく視界が悪いため、近くまで行かないと、よく確認できませんでした。

私は右へ走り、左へ向かい、下へ下りてはまた上ります。

「まだかーっ」

ひどく情けない気持ちになりました。

何度か往復するうちに、ようやく階段の隅にちょこんと乗っかった、もう片方のハイヒールを見つけることができました。

「ありましたーっ」

喉を目一杯に広げて大声を出します。そのあと両手にハイヒールを持ち、小春と社長が待つ、階段の上を目指して懸命に走りました。

「はあ、はあ」

大げさに肩を上下させます。どう考えても、ペット並みに扱われていることに対して、憤っています。

口には出せない不満を、体全体で表現しました。

「ご苦労さん」

社長はにんまりと笑って労ってくれました。

いつまでもハイヒールを握っていても仕方なかったので、小春の足もとに置くことにします。ところがそんな私を、社長が制止しました。

「待て待て、娘がこんなに喜ぶのは、珍しいこっちゃ」

私にしたって、犬みたいに扱われたのは初めての経験でした。

「もうこんなに濡れたことやし、ちょっと遊ぼやないか」

大雨の日に、美術館の玄関先で、いったいどんな遊びをするというのでしょうか。

「はい、分かりました」

ところが私は、社長の言葉には逆らえません。条件反射のように、すぐさま返事を返しました。

「お前はピッチャーをやれ。わしがキャッチャーで、小春がバッターや」

意味が分かりません。

「お前は早う、向こうの端へ行け。そのハイヒールがボールや。それをわしに向かって投げてくるんや」

ひどい夕立の中で、私たちはなんと野球をするらしいです。

こうなるともう、社長の独壇場と言ってよく、私は正直、げんなりしています。

小春と社長を向こうに回し、嵐の中での野球がいったいどんな結末を迎えるのか、長くなりましたので、続きは「子どもから回復できない女が一本足打法」に記します。

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ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。

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