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駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

ペットというよりも家族、祖母が死ぬ前に誰よりも愛したケン

中学一年のときに、私の家にペットが来ました。私にとって、人間以外の唯一の家族です。

ペットというよりも家族、祖母が死ぬ前に誰よりも愛したケン

彼はまだ生まれてから、それほど経っていなかったので、小さな体をしていました。そのくせ、足だけが異様にでかかったのを覚えています。

「スタンド・バイ・ミー、悪ガキたちが目指したデパートの屋上」からの続きです。

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前の記事から読んでもらったほうが分かりやすいですが、この記事だけでも完結しているので、問題はありません。

名前はケンと名付けられました。

ケンは例の、近鉄百貨店の屋上にあるペットショップからやってきたのです。

ケンは立派な血統書付きのシェパードでした。

果たして犬にも、ハンサムとそれなりの基準があるのかどうか、私が言い切ることは残念ながらできませんが、それでも私の目から見ると、ケンのやつはかなりのハンサムでした。

目がクリっとして、鼻筋が通り、耳まで裂けた口からは、長くて赤い舌が飛び出しています。とにかく、その辺の犬とは比べ物にならないほどの、美形のように思えたのです。

ケンのことを語るとき、どうしても話しておかなければならない人が、私の記憶の中には存在しています。

それは私の祖母です。

祖母は私が犬を飼いたいと駄々をこねたとき、「そんなに犬が飼いたいんなら、わしが死んでから飼え、わしを取るんか、それとも犬畜生を取るのか、どっちかきっぱりと言ってみろ」と、中学一年生の私に向かって、すごんだ人です。

祖母は豪快な人でしたが、かなり気難しい気質の人でした。

おそらくそれをオヤジが受け継ぎ、オヤジから私へとバトンを渡されたように思います。私もかなりの偏屈ですし、私の子供も、大阪でいう、「ヘンコ」というやつです。

私の両親は商売をしていましたので、私は祖母に育てられました。

ところが祖母は私の面倒をそばでじっと見ているような人ではなく、近所の子供を集めて、商店街にある映画館に放り込むのが日課でした。

今では考えられないことですが、あの頃は近所にたくさん映画館がありました。私たちはまだ、幼稚園にも行っていないくらいの年齢で、映画館の入場料は当然、タダです。だから祖母は近所の子供を集めて毎朝、映画館へ放り込むわけです。

確か、東映系の映画館だったと思います。よくは覚えていませんが、鶴田浩二なんかが出ているヤクザ映画なんかが上映されていたはずです。

平日の映画館なので、ガラガラです。

しかも真っ暗な映画館は私たちにとって、格好の遊び場でした。終日、かくれんぼや追いかけっこをして遊ぶわけです。

それを許していた劇場側も、今では考えられないほど、おおらかな経営をしていたものだと感心しますが、毎朝、うるさいガキどもを連れて、映画館の入り口に立つ、祖母の心臓の強さといったら、我祖母ながらあっぱれとしか言いようがありません。

そんな祖母が「わしを取るか、犬畜生を取るか、どっちか言うてみい」と言ったんですから、中学生の私は心底、震え上がりました。

ところがなぜか、そのときはオヤジやオフクロが私の味方をしてくれました。

今から思えば、私が一人っ子だったので、かわいそうだと考えたに違いありません。しぶしぶ祖母は納得し、それからすぐに、ケンが私のうちにやってきたのです。

ケンは一年くらいで、体がすごく大きくなりました。でも気持ちが優しくて、散歩をしていても、小さな犬に吠えられたら、一目散に家に帰ろうとします。

優しさは憶病とも言いますが、ケンはまるで、私にとっては手のかかる弟のような存在でした。

私と彼はすごく近い存在でしたが、徐々に私が大きくなるにしたがって、私は私の人生を生きることが楽しくて、ケンのことをおざなりにしてしまうようになっていきました。

彼は一人ではどこにも行けません。彼だけの人生はないのです。

彼が生涯、過ごしたのは、狭い小屋の中です。彼の生きた時間のほとんどが、そこでの生活です。

どんなに言いつくろったとしても、私にはペットとして生きた彼の一生が、とても悲しいものに思えてしまうのです。

私が小さかったころは、まだよかったです。彼にとって、私は仲間に等しい存在だったはずです。でも私には、彼のいない世界もありました。彼がいくら欲しても得ることができない世界を、私は生まれながらに持っていたのです。

私が大きくなって、彼との時間をあまり持てなくなったころ、彼にとって最も近い存在はなんと、祖母だったようです。

ケンを飼うのを最後まで反対した祖母、「わしを取るんか、犬畜生を取るんか」とまで言った祖母は、死ぬ間際、病室で犬の鳴き声が聞こえてくると「ケンが来てるから、入れてやってくれ」とオヤジに頼んだそうです。

ケンにとっても、祖母は最後の救いであったし、祖母にもまたケンは同じだったに違いないのです。私やオヤジは自分の人生を生きていました。若く、壮年期だった私たちは祖母やケンを振り返ることはなかったのです。

ケンが亡くなったのは、私が27歳くらいのころです。そのころ私は、一人暮らしをしていました。だから叔母が、ケンの面倒を見ていました。

もう動けなくなっていると叔母から連絡をもらい、私はケンに会いに行きました。

私のそばでぐったりとしているケンは、もう昔の元気な姿ではありませんでした。体が小さくて、足だけが異様にでかかった、あのケンではありません。

体中の毛が乾燥していて、まるでぬいぐるみを触っているような手触りでした。そのとき私は初めて、祖母がなぜあれほどケンを飼うことを嫌がったのか、わかったような気がしたのです。

彼らは必ず、私よりも先に死にます。

死ぬ前の生命{いのち}は、それがたとえ人間以外のものであったとしても、悲しくて哀れで切ないものです。祖母はそれを知っていたのかもしれないと思いました。

やがて私は立ち上がります。もうそれほど長くないケンを置いて、仕事に戻るため、出口へ向かいます。すると驚くことが起こったのです。

身動きすらできないほど、衰弱しきった体のケンが首を持ち上げて頭を回し、私の姿を探し始めたのです。

彼にとって、私はおそらく最後まで仲間だったに違いありません。私のように冷たい人間を、最後まで彼はそう思っていたに違いないのです。

最後の、本当に最後の別れでした。

中学一年生から十五年間、私のうちで、私の家族と一緒に過ごした、人間以外のたった一人の家族、彼の、彼だけの人生が今まさに閉じる瞬間でした。

私はもう二度と、生き物を飼いたいとは思っていません。

私の子供がいくらペットを飼いたいと言っても、あのときの祖母のように反対します。彼らは私たちよりも先に死ぬから、それを看取るのがとても悲しいから、もう二度と、私はペットを飼いたいとは思わないのです。

それでもケンのことだけは、決して忘れません。

誇り高き、血統書付きのシェパード、ケン。血統書に記された彼の本名は、バルドー・フォン・ヒジカタです。

バルドー・フォン・ヒジカタの血統書

私は心から、安らかに眠ってほしいと願っています。

オフクロのことを書いた記事「マザコンであることを、私はすみやかに宣言します」へ続きます。

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最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

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