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何も持たない君に、武器はもう必要ない。

輪廻転生があるんなら、ゲームみたいに人生もリセットできる

誰もが一度は考える、自分とはいったい何なのか?

輪廻転生があるんなら、ゲームみたいに人生もリセットできる

もしも永遠不滅の魂があるのなら、輪廻転生も考えられます。しかも下手な宗教の教えのように、獣の霊魂だとか人間の霊魂だとかの区別もあるかもしれません。

しかし永遠不滅の魂というものが存在しないのなら、輪廻転生にしても、人間の霊魂だけを都合良く特別扱いするような、差別に満ちた霊界の存在も眉唾になります。

私が知る限りにおいて、輪廻転生を証明するような事例が世に示されたことは、まだありません。

それでもネットで検索すると、様々な逸話、エピソードのたぐいが引っかかるので、それにまず、驚いてしまいます。

輪廻転生を信じている人は、ひょっとすると、かなりの数、存在するのでしょうか。

輪廻転生を証明するためによく登場するものには、催眠法による年齢退行というものがあります。

催眠状態におかれた被験者の意識がどんどんさかのぼり、やがては母親の胎内での記憶を語り出し、果てはそれ以前、つまりは前世の記憶までを呼び覚ます実験などが行われ、そこで被験者が知るはずのないことをしゃべり出すというようなエピソードは、引きも切らずにあります。

被験者ができるはずのない外国語を話したとか、知るはずのない事柄を知っていた、そんな信じられないような書物までが発売されていて、それを読んだ人が感化される場合もおそらくは多々あるでしょう。

まるで死によって、人生をリセットできるかのように考えている人も、なかにはいるかもしれません。

私は残念ながら、怪しげな宗教家のように断言はできません。できませんが、年齢退行の暗示などで輪廻転生を証明できないことくらいは、承知しています。

世の中にはUFOを目撃したという人は、ごまんといます。それどころか、宇宙人に連れ去られて体を改造されたなどと言ってる人までいるのです。

年齢退行で知らないはずのことをしゃべったなんて話に、どれほどの信憑性があるのでしょうか。

むしろそれが真実であれば、もっと多くの被験者で臨床実験が行われ、輪廻転生を証明しようとする学者が現れても不思議ではありません。

ところがそういった話は、今のところ聞きません。

世の中に不思議は確かに存在します。

私はそれを否定する気はありませんが、科学的な証明がなされた不思議(多少、矛盾した言い方にはなりますが)でない限り、尾ひれ背びれをつけて拡散するのはとても危険な行為だと思います。

そこにロマンティックな響きを埋め込んでしまうと、死ねば今の不幸から逃れられる、人生をリセットできると考えてしまうような、短絡的な解釈も成立してしまいます。

何の確信もないのに、死は甘い媚薬のように感じられる場合もあるでしょう。

事実、15歳から39歳までの死亡原因の第1位は自殺です。40歳から49歳までを見ても第2位、50歳から54歳までに絞っても、第三位なのです。

それをすぐさま輪廻転生などと関連づけるのは、あまりにも短絡的な考え方だと私もわかりますが、何らかの影響があるのではないかと考えてもおかしくはないでしょう。

人生はただ一度きりの体験である。

そう考えたときに、どうしても割り切れないのは、自我の存在です。

生きている限りは、自己の意識がなくなる世界を、誰もが実感できないのかもしれません。人間は歳を取るものだと、若者は頭ではわかっていても、自分が老人になる未来を実際には思い描けないのとよく似ています。

自分のいない世界を想像できないからこそ、死んでもまた生まれ変われると思うのでしょうか。

不変であるのが宇宙ではなくて、自分自身だと錯覚しているのかもしれません。

それでも百歩譲って、魂というものが存在し、来世というもがあるのだとしても、また知的生命体に生まれ変わる可能性は、いったいどれほどあるのでしょか。

霊魂という存在を肯定したときに訪れる、次の疑問があります。

昆虫や植物と、人間との違いは、いったいどこにあるのか私にはわかりません。

怪しげな宗教家なら、人間の霊魂と他の動物の霊魂はそもそも違う。高級とか下級とか訳のわからない言葉を持ち出して、人間だけを特別扱いします。

けれども私はこれだけは、断言します。生物に高級も下級もあるはずがないのです。違いは体の形であり、脳の重さでしかありません。

輪廻転生を信じるのなら、人間以外の生物に生まれ変わることも受け入れなければなりません。

蜘蛛や虫の中に閉じこめられた、自らの意識を想像すべきです。

決して安易な気持ちで、生まれ変われば人生をやり直すことができるなどと、思わないことが大事です。

輪廻転生という考え方は、やがてくる死の恐怖を和らげるためのものです。

死を身近に感じたときに味わう恐怖は、いったいどれほどのものか、想像することもできません。

とてつもなく、怖いはずです。

自分がいなくなってしまう。二度と目覚めることがないと覚悟したときの恐怖は、生まれた瞬間に誰もが経験したであろう恐ろしさに、匹敵するものに違いありません。

人間は人生で、2度の底知れぬ恐怖を味わうのです。

生まれたときと、そして死ぬ間際に。

そのときにこそ、輪廻転生を信じる気持ちが恐怖に打ち勝つ糧になるはずです。

また生まれ変わることができる、そう信じる気持ちが怖さを和らげる。希望こそが恐怖をしのぐ、人間が持つ、もっとも強い意志と考えて間違いありません。

でもそれを曲解して、高級だか下級だかをねじ込んで、おまけに死に対してロマンティックな化粧まで施してしまうと、輪廻転生という本来、死の恐怖を和らげるためにある救いの思想は、間違った使い方をされてしまいます。

怪しげな言葉にすり替わってしまうのです。

自然な死が目前に迫るまでは、人生は一度きり、決して生まれ変わることなどないと、心に決めて惑わされないことが肝要です。

死にはロマンティックな一面など、皆無です。終点には間違いなく、腐敗が待ち構えています。決して甘い言葉に迷わず、最後のそのときが訪れるまで精一杯、生き抜いてください。

たった一度だけ体験できた、人生の最後を必ず、見届けてほしいと願っています。

最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

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