読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

悲しみは共有するべきか、それとも自分だけのものにするべきか

私は別のカテゴリーで、亡くなった娘になりきって、彼女の人生を書き綴っています。

悲しみは共有するべきか、それとも自分だけのものにするべきか

ただしこのブログで、恋々とした悲しみを書くつもりなど、一切、ありません。

決して蓋を緩めず、気負うことなくただ淡々と書き綴っていきたいと考えています。

「マザコンであることを、私はすみやかに宣言します」からの続きです。

www.8ssan.com

悲しみと言えば、高倉健主演の映画、鉄道員(ぽっぽや)を録画していたので、先日、夜中に一人で観ました。

内容はあらかた知っていたので、妻が寝静まってから、一人で観賞することにしたのです。

まるでAVでも観るかのような調子で、妻の寝息を確認しながら、起きないようにボリュームを下げて、秘密の上映会です。

念のために言っときますが、夜中に一人で、しかも内緒でAVを観た経験なんて、私にはまったくありません。

正真正銘の、無実です。

ただし私は結構、映画が好きです。最近はCS放送などで、かなりの数の映画も観ています。けれども唯一、苦手なジャンルがあります。

いわゆる泣ける映画です。

全米が泣いた。号泣、感動に魂が震える的な、キャッチフレーズのついた映画はたいてい、避けて通ります。

何も泣ける映画に対して、とやかく文句があるわけではないのですが、ただただ私が泣き虫なので、その手の映画を観ると、なけなしの体力を絞り出す必要があり、主に体調管理の面から苦手にしているというのが理由です。

なのになぜ、鉄道員(ぽっぽや)を観るんだと思われる方も多いと思います。

確かにその通りです。

原作、浅田次郎で主演が高倉健となると、まさに泣ける映画の王道と言ってよく、私の体力が最後までもつかどうか、ハラハラドキドキしながらの映画鑑賞です。

それでも私は、どうしても観たかったんです。

案の定、ここで泣いてね、みたいなシーンがてんこ盛り。そのたびに私は律儀に、眼球の裏側が炎症を起こすくらい、ただひたすら泣きながら映画を観続けました。

ラスト近くになると、鼻が詰まって呼吸も困難な状態でした。

当然、私は自分の境遇と主人公の心情を重ね合わせます。

正直に白状しますと、鉄道員(ぽっぽや)のあらすじを知ったとき、私はこの重ね合わせに興味を持ったんです。

不幸な自分にどっぷりと浸りたかったのかもしれず、かなりM的な思考の私は妻の寝ている間に、たった一人で秘密裏に、どうやらそういう責め方を味わってみたかったというのが、真相のようです。

そうなると、感情移入というやつがM的な私にとっては、とても重要な道具になってきます。

感情移入はM的な人に限らず、映画を観賞する上での必需品と言ってよく、高倉健と私をダブらせるのは大変、図々しい所業であるとは思いながらも、今回ばかりはそれしか方法がないので、ご了承願います。

簡単にあらすじを説明すると、生まれてすぐに亡くなった主人公の娘さんが、大きくなった姿を、幽霊になってお父さんに見せにくるという話です。

文章にするとかなり陳腐ですが、映像の美しさや高倉健の渋さはさすがでした。

私の場合は映画の主人公よりも、ずっと幸せだったように思います。

私は長女の26年間を、ちゃんと記憶の中に収めています。

何物にも代えがたい思い出です。

私には子供が三人います。

長男と末の娘は妻の実家で生まれたために、出産には立ち会えませんでした。長女だけはこちらで出産したので、分娩室の中に入って、長女が生まれてくるのをじかに目撃しました。

生まれたばかりのあの子を、両手の上に乗せたんです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、抱くというよりも、手のひらに乗せるという形容のほうがぴったりで、今でもあのときの感覚を、私は体のどこかでしっかりと覚えています。

看護師さんが立ち往生している私に向かって「頬ずりをしてあげてくださいね」と囁きました。私はこわごわ顔を寄せて、あの子の皮膚の感触を頬のあたりで味わったのです。

まさに至福の時でした。

ところが慣れない若い父親は、それほど深い感慨も覚悟もなく、家族が一人増えた程度の軽い感動しか味わっていませんでした。

あの瞬間から、娘のカウントダウンはもうすでに始まっていたというのに、私は本当に間抜けですね。

それから26年後、娘は亡くなります。

葬儀屋さんや知り合いの人から、私はひどく心配をしてもらいました。

それくらい、娘を亡くした父親というものは、おかしく見えるに違いありません。

当の本人である私は、普段と変わっているようなところは極力、見せなかったつもりですが、他人の目はどうやら違っていたようです。

「同じような境遇の人と、傷を癒せるような集まりがあるので、顔を出してみたらどうですか」

何人かの人に、そう勧められました。

思いのたけを告白することによって、たくさんの人と悲しみを共有するそうです。

私はそういう場を否定するつもりは、まったくありません。むしろそれで救われている人たちが多いのも事実でしょう。

でも私は、悲しみを共有したくはないのです。

私の悲しみは確かに深いです。底が見えない崖の上に立っているような気分であるのは、紛れもない事実です。

けれども私が苦しんでいるのは、長女の面影が記憶の奥にしっかりと刻まれているせいです。

彼女の存在は私が死ぬまで、決して消えることはありません。

ただし私が死んだら、悲しみが消えるのと同時に、長女が生きてきた証拠も失われてしまいます。

私が生きている限り、長女が生きてきた26年間の証も、私の手元にあります。

悲しみは悲哀だけではなくて、私にとっては長女の生きてきた証拠でもあるのです。だからこの悲しみを、死ぬまで生々しいままで手元に置いておきたいと願っています。

私はこのブログに、長女の生きてきた証を書こうとしています。ただ一心に、記憶の中に残っている、娘が生きてきた証拠を探すことが、正直に言えば楽しくて仕方がないのです。

誰かと悲しみを共有して、傷を癒したいなどとは、露ほども考えていません。

だから私は、そういった集まりに顔を出すことはありませんし、誘われるのもはっきり言うと、迷惑です。

それよりも彼女の人生を想像して、一心不乱にキーボードをたたき、ブログに新しい記事を載せたいと、そのことばかりを考えています。

そろそろ別の話題へ移ります。

長男が生まれたときのことを書いてみます。私がおそらくもっとも幸せだった瞬間の話です。

上でも述べたように、長男は妻の実家で誕生しました。生まれたという知らせを聞いて、私は休みになるのを待ち、妻の実家へ出向きました。

病室へ入ると長男が寝かされていて、ようやく私は初めての子と対面することができたのです。

あのときも、私は軽い感動を味わっていました。

軽いと言っても、後々私は「初めての子は天使に見えた」などと、いろんな人にオーバーな口調で語りましたので、私にとっても大事件だったのは、間違いのないことでしょう。

ところがそんな気分を一瞬で台無しにしてしまうような一言を、私は看護師さんから浴びせられたのです。

看護師さんにとっては、何気ない一言だったに違いありません。

私にもそれくらいのことは理解できます。ただしあのときの私はその言葉を聞いた途端、まるで真空管の中に放り込まれて、尻に電球でも突っ込まれたかのような気分になったのです。

比喩が下品で申し訳ありません。

前置きが長くなったので、そろそろ看護師さんの一言を発表します。

二十歳代前半のかなりシュッとした感じの看護師さんは、新幹線で二時間以上も揺られてきた、初めての子と対面する父親に向かって、こう言ったのです。

「わあ、お父さんにはモミアゲがないのに、この子はモミアゲがある」

たいしたことではありません。ただこれだけのことです。

私はモミアゲどころか、ヒゲもかなり過疎った感じでしか生えてきません。

しかるに生まれた途端、あたかも父親を越えたかのような言い草に、私と息子の両方を貶められたかのように感じたのは、慣れぬ父親のひがみ根性としか思えません。

それからしばらく、看護師さんと目も合わせないような態度をとったことに対して、私は今更ながらに深く反省をしております。

本当に、ごめんなさい。

子供の誕生と言うのは、まさに至福の時間でした。

最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

この記事と関係が深い記事は次の二つです。

www.8ssan.com

www.8ssan.com

読んでいただければ、嬉しいです。

他のカテゴリーの、先頭の記事を紹介します。

ルーツ:

www.8ssan.com

わるぢえ:

www.8ssan.com

別の世界に住む家族:

www.8ssan.com

駅前第四ビルが愛した植樹:

www.8ssan.com

逆さに見える空:

www.8ssan.com

www.8ssan.com

などがあります。時間があれば、ぜひ読んでください。よろしくお願いします。