駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

マザコンであることを、私はすみやかに宣言します

私の祖母や叔母は、驚くほど気が強くて、口の悪い人でした。

マザコンであることを、私はすみやかに宣言します

物事を常に自分中心に考えて、その上、言わなくてもよいことまで口走ります。

そんな祖母や叔母の世話をしていたのが、私のオフクロです。

「ペットというよりも家族、祖母が死ぬ前に誰よりも愛したケン」からの続きです。

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おそらく、今では考えられないほどの苦労をしたに違いありません。

私の記憶には、オフクロの苦労の痕跡がかすかに残っています。

祖母や叔母にこっぴどくやられたあと、よく私の布団の中へ潜り込んできては、泣いていたのを覚えています。小さかった私は何もできずに、オフクロの手を握るだけが精一杯でした。

あのときから私は、私自身の無力を心の底から嫌悪するようになりました。

それではオフクロの人生は、果たして不幸だったと、決めつけていいのでしょうか? 今でも私は、ときおりそれを考えます。

オフクロの人生は本当に不幸な人生だったのか――その疑問のあとに私はいつも、オヤジが話したことを思い出します。

オヤジとオフクロの新婚旅行の話です。

オヤジの家系の人たちの性格は皆、人騒がせです。自分のことしか考えません。

オヤジとオフクロの新婚旅行にも、それが如実に現れています。

オヤジは新婚旅行で、全国の競輪場や競馬場めぐりをしたというのです。オフクロは黙ってそれに、つきしたがっていたと言います。

それを自慢げに話すオヤジには、あきれてものも言えません。

オヤジの話によると、昼間はずっと競輪場の前にある芝生に座って、オヤジの遊びが終わるのを母は待っていたそうです。

それがオフクロにとって、一生で一度きりの新婚旅行だったのです。

やっぱり、オフクロの人生は不幸に違いない、と私が決めつけても仕方ありませんが、オヤジはそのときのオフクロの服装を、しっかりと覚えていました。

「白い服を着て、日傘をさして、芝生に腰を下ろして、わしをずっと待ってたなあ」などと、遠くを見ながら、そんなことを言うのは、絶対に反則です。

わが親ながら、なんてずるい男でしょうか。

酔うと当時を振り返るオヤジの姿は、まさしく身勝手そのもの、今ならとても結婚なんてできるはずのない性格です。

でもその話を聞いているオフクロは、オヤジと同じように懐かしそうな顔をして、にっこりとほほ笑んでいたのです。

私はよく知っています。小さなころから何度も見てきたので、オフクロがとてもオヤジを好きだったことを、私だけは誰よりも理解しています。

オフクロは心から、オヤジが好きだった。

だからオフクロはひょっとすると、それほど不幸じゃなかったのかもしれないと、今の私はそう思っています。

今日、近所にある《コーナン》へぶらりと立ち寄ったときに、ふと母のことを思い出しました。

通路を歩いていると、子供とすれ違ったのです。短いパンツを穿いた男の子でした。後ろからお母さんと思{おぼ}しき、女の人が追いかけてきます。

私を産んでくれた母は、父の仕事を手伝っていたので、こういうところへ連れてきて貰った覚えは、ほとんどありません。

そんな母との思い出がたった一つだけあります。

あれは確か、小学校の低学年だったように思います。明くる日が遠足で、おやつの入ったリュックを枕元に置き、わくわくしながら目を閉じました。

ところが当日の朝になって体の具合が悪いことに気がつきました。寒気もしたし、お腹の調子もひどくて、まだ夜明け前だったにもかかわらず、便所に駆け込んで汗を流しながら踏ん張りました。

心配した母はすぐに飛んできて、体温計で熱を測りました。どれくらい体温が上がっていたのか、今となってはよく覚えていませんが、とにかくその日の遠足は、諦めるしかありませんでした。

ところが午前中に医者へ連れて行かれ、お昼のお粥をすすったころには、嘘のように熱が引いてしまいます。

私は元気な体を持てあましつつ、部屋にこもったままで、ふてくされていました。

おやつの入ったリュックを眺めながら、恨めしい気持ちで何度も舌打ちをしました。

今さら追い掛けていくわけにもいかず、行き場のない感情が溢れてしまい、ついつい部屋の中で大声を出しました。

すると母が私の様子を見に来て、黙ったままで、リュックを背負わせました。何をするのするのかと思っていたら、私の手を引いて、JRの駅へ向かいます。天王寺で電車を乗り換えて、森ノ宮まで連れ出されました。

記憶の中にいる私の視界は、周囲が暗くて中央にしか焦点が合っていません。狭い視界の中心にそびえ立っているのは、緑の屋根を被った大阪城です。

それから母と私が、どこをどう歩いて何をしたのか、思い出そうとしても曖昧な記憶だけしか残っていません。果たしてあのとき、大阪城に上ったのか、それさえも不明です。

なのに母の荒れた手の感触だけは、今でもはっきりと覚えています。

私は今でもときおり、母の夢を見ます。夢の中の母は白い服を着て、日傘をさして、芝生の上に腰を下ろしています。

背後には大阪城が見えているんですから、支離滅裂な夢ですが、夢の中の私は、その母の姿にいつまでも見とれてます。

だから私は間違いなく、情けないほどマザコンだと宣言します。

「悲しみは共有するべきか、それとも自分だけのものにするべきか」へ続きます。

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