駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

長い階段の上から見下ろす巨人

ピンクのソフトクリームを手に入れた小春は、意気揚々と先へ進みます。

長い階段の上から見下ろす巨人

天王寺動物園でべそをかいていた小春は、天王寺公園の入り口にいた行商のおじさんのお蔭で、機嫌が直りました。

「天王寺動物園で、意地の悪い私はアーメンとつぶやいた」からの続きです。

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前の記事から読んでもらったほうが分かりやすいですが、この記事だけでも完結しているので、問題はありません。

天王寺公園にでも入ってみようかと思い、入口へ向かいました。

切符を買って園内に足を踏み入れると、目の前には長い階段がありました。階段の頂点には大阪市立美術館が、そびえ立っています。

私たちが立っている場所との高低差は、かなりのもんだと思います。

大阪市立美術館の歴史は、日本の国公立美術館の中でも最も古いらしいです。

建物の外観は天井が三角屋根で、大屋根は一つだけです。

大阪城から邪魔な天守を取っ払い、型押ししてから平面の紙にでも押し込んでやったら、きっと目の前にある美術館とそっくりな建物ができあがるに違いないと思いました。

別に美術館へ入るつもりなどありません。

小春を連れて美術品を見るほど、物好きじゃないです。ただし美術館の前が恵沢園やら、茶臼山へ続く道の拠点になっています。だから目の前の階段を上るのが、どこへ行くにしても、一番の近道になるわけです。

私と小春は並んで階段を上りました。

美術館の前から階段の下までは、石畳になっています。埃っぽい動物園を出たあとだったので、妙に歩きやすい感じがして、助かりました。

小春は入口のところで買ったソフトクリームを右手に持ち、赤い舌をピンクのクリームに絡めています。

邪念もなく、熱心にクリームを掬い取っていました。

俯いて階段を上る小春の姿は頼りなげで、そのくせどこか愛嬌があります。

さっき動物園で見たチンパンジーに、無理やりダイエットを強いて、何か心配事でも作ってやれば、同じような格好で歩くのではないかと思いました。

私は心の中で「一、二」と数字を読み上げます。

階段の段数を、数えながら上りました。「二十、二十一」くらいのところで、面倒臭くなります。まだ半分も上っていませんでしたが、とにかく数えるのをやめました。

そうこうしているうちに、小春が急に足を止めてしまいます。

何事かと思って覗いてみると、小春の足もとにはピンクのソフトクリームが、無残にもべったりと横たわっていました。

「お前、何ぃしてるんや」

顔をしかめて、小春を睨み付けてやりました。

「もうほとんど食べ終わったあとやろ。諦めろ」

構わず先へ進もうとしましたが、小春は下を向いたままで、どうしても歩き出そうとはしませんでした。

しかも腰を屈めて手を伸ばし、階段に張り付くソフトクリームの残骸を拾い上げようとしたのです。

「あほ、落ちたもんは食うな」

私はこのとき、知恵の顔を思い出しました。

女というものは落ちた物に対して、特別の思い入れでもあるのでしょうか。

「しゃあないのう」

せっかく上ってきた階段を、仕方なく下ります。

ゲートの前まで戻って、向こうにいる《おじさん》に大きな声で呼び掛けました。

「おっちゃん、ごめん。もう一個ちょうだい」

今度は、黄色のニット帽を被ったソフトクリームでした。

新しいソフトクリームを手にしたとたん、小春は表情を変え、再び機嫌良く階段を上り始めました。

「ほんまに現金なやつや。あきれてしまうわ」

階段の頂点に近づくと、美術館の玄関周りが見えてきます。

美術館の前には短い階段があり、大屋根の下には長方形の小窓が八つ並んでいます。下の段には大きな窓が見え、周囲には石材のレリーフが施されていました。

ようやく階段の上に辿り着き、振り返って階下を見下ろします。

通天閣から新世界、右手にある動物園に至るまで、ここにいれば全部すっかり見渡せました。

ちょっとした山の頂に登ったような気分になって、ずっと遠くまで視線を伸ばします。しばらくそうしていると、目が痛くなって、何度か瞬きを強いられました。

自動車が吐き出すガスのために、景色はどこもかしこも気味悪く煙っています。視線を落とせば公園のゲートが見え、ここまでの長い道のりに溜息が出ました。

排気ガスのために、埃をたっぷり含んだ景色にも、そろそろ飽きがきます。公園の奥へ向かうつもりで首を回し、そばにいるはずの小春を探しました。

ところが小春はどこにもいません。

どきりとして辺りを見渡しました。美術館の周囲に視線を伸ばし、茶臼山へ続く小道のほうを見て、駅へ向かう方向を確認しましたが、どこをどう探してみても、小春の姿は見あたりませんでした。

振り返って、階段の下を覗いてみましたが、こちらもやはり同じです。

小春は白いワンピースを着て、黒くて艶のある長い髪をなびかせています。遠目でも小春の姿を発見することは容易いはずです。

駅へ続く道へ慌てて駆けだしましたが、走りながらも最悪の事態が脳裏をよぎっていました。

小春は気になる物を見つけると、一直線に目的の場所へ移動します。

誰かが小春を誘えば、簡単について行くことだって、十分に考えられました。

もしも誰かが連れ去ったのだとしたら、駅へ出るために公園の《天王寺ゲート》へ向かうはずだと思いました。

天王寺ゲートへ向かう道は、舗装されています。だから足元が危ういわけではありませんでしたが、緩やかな下りになっているため、スピードが増す分だけ、よけいに焦る気持ちが募ってしまいます。

両側に植えられた樹木の枝が、空と道との境界を塞ぎ、私が向かう方向には、光と影がくっきりと描かれていました。

小道を歩く家族連れがいます。後ろでカップルが腕を組んでいます。道行く人の間を縫って、懸命な思いで走っています。

時おりふっと、小春の現金な笑顔が脳裏に浮かびました。浮かんだ笑顔を、悪い予感が一気に掻き消します。

やがて広場に出ました。

中央には水上ステージが設置されています。右手には絵の具を散らしたかのように咲く、草花がたくさん植えられていました。

広場の東の端が《天王寺ゲート》です。

遠目にも、駅前ビルが視認できました。ところが人が多すぎて、とても小春の姿を見つけられそうにありません。

落ち着くべきだと、自分自身に向かって、何度も言い聞かせました。

焦っても事態は好転しません。もう一度、一から考え直してみようと思いました。

小春はあの調子です。仮に誰かが連れ去ったのだとしても、短い時間で、それほど遠くへ行けるはずなどありません。

私はここまで走ってきました。

小春を連れて、私の視線の届かない場所まで移動するには、かなりの時間が掛かります。しかも小春は無理やり歩かそうとすれば、嫌がって声をあげるはずです。

美術館の前で、誰かが小春を連れ去ったのだとしたら、そばにいた私が気づかないわけがないと思いました。

だとしたら、方角が間違っている可能性があります。

大変なことになりました。小春は無事に見つかるでしょうか。続きは「嵐はまさに、ファンタジーの入口だったのです」に記します。

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最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

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