駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

毛生え薬を眉毛に塗っていたのは、いったい誰だ

ケンタッキーの日本での2号店は大阪市平野区、喜連瓜破にありました。

毛生え薬を眉毛に塗っていたのは、いったい誰だ

ありましたという過去形は、現在はイオンの改築に伴って、店の場所が変わってしまったためです。

私は学生のころ、その、日本2号店でアルバイトをしていました。その当時の実話ですが、何か問題が出てもいけないので、ケンタッキーという店名はロッキーズに置き換えさせていただきます。

どうぞ、ご了承ください。

今回もすごく長くなってしまいました。基本的に長い記事が苦手な方は、私のブログはスルーしてもらったほうが良いかもしれません。

赤白ストライプの制服にグレーのパンツ、それがロッキーズの男子の制服である。

真っ赤なクッキングキャップも頭に載せないといけない。

女子の制服は同じ柄の、半袖のワンピースである。

素材はおそらく、綿百パーセント、予想では、膝上十五センチといったところだ。ところが洗濯をするたびに、どんどん縮んでくる。

膝上二十センチくらいの女の子もいたりする。

恵まれた環境だといえるのかもしれないが、あの頃の私たちにとって、膝上二十センチのミニスカートは、迷惑以外の何物でもなかった。

掃除のときなど、女子のバイトが屈んで床を拭いたりする。

その近くに男子のバイトが不用意に立とうものなら、たったそれだけのことで、あくる日には、元暴走族の店長が私たちにきつい注意をした。

とにかく、セクハラに対する周囲の目の厳しさは冤罪、島送りなんて日常茶飯事だった。

だからといって、腹を立てるともっとまずい。

「お前のなんか誰が見るか」などと、ついうっかり口を滑らせたらもう最後、店長以下、日本社会から総すかんを食らうのは明らかだった。

「おはようございます」
今朝は私と店長の二人がオープニングの担当である。

「おお、ハッサンか。あのなあ、何かいい毛生え薬を知らないか」
「毛生え薬なんて、なんに使うんですか?」
「いやなぁ。ヘヤートニックを目の上に塗りこむと、眉毛が濃くなると聞いたんだが。あんなもんを目の上なんかに塗ると、目がさえて仕方がない。睡眠不足で頭が割れそうに痛い。そのくせ、目の上はすっきり爽やか。おかしな気分としか言いようがないんだ」

そういえば、古株のバイトの人が前に言っていた。『店長の眉毛は暴走族時代に抜き過ぎて、もう生えてこないんだってよ』と、いうことだ。

暴走族にとって、眉毛の手入れは欠かせないものだったらしい。

だが、明らかに一般社会人にとって、生えてこない眉毛というものは人相に悪影響を及ぼす。それについては、店長自身も十分悩んでいて、相当気にしているということだった。

「ジェルかワックスで固めたらどうでしょうか」
「ジェルやワックスで固めたら眉毛が濃くなるっていうのか?」
「さぁ?」
「お前、俺に何かあるのか。言いたいことがあるんなら隠さず言ってみろ。あん?」
針のような目が、鋭く尖っていた。

「いえ、何もないっす。すみませんでした」
店長の名前は、足立龍造(仮名)、年齢は確か二十八歳である。

ロッキーズに勤める前は、マグロ漁船に乗っていたという噂だ。身長は一メートル八十をゆうに越している。えらの張った顔と細い目、がっしりとした体格に、眉なし、おまけにとどめはわしっぱな。

何拍子かは揃っていた。初対面の人には適していない風貌だと言える。

その店長が髪型をオールバックに決め、赤白ストライプの制服を着るのだから、初めて厨房を訪れた人の驚愕は計り知れない。

「店長。俺、オペレーション(厨房作業)の準備でいいっすか」
「おお、頼む」
開店時間までは、あと四十五分しかない。

私は急いで作業を始めた。

バックルームの点検をする。そのあとガス設備の着火を行った。

あと十五分でオープンの準備を完了しないといけなかった。そろそろ女子のバイトもやって来る頃だ――間違っても事務所周辺には近寄れない。

また大きな声で確認作業をした。私の声だけが厨房内に響き渡っていた。理不尽なことに、店長の姿はどこにもなかった。

あとはメンテナンスと掃除で終わる。

カウンターを出て、イートインスペースの状況を確認した。結局、店長は最後まで、手伝うどころか姿さえ見せることはなかった。

トイレの掃除などが残ってしまったが、もはや七時、オープンの時間である。

「おはよう。ちょっとみんな集まってくれ」
厨房から店長の野太い声が聞こえてきた。

いつ戻ってきたんだろう。

急いでバックルームへ向かった。

今日のバイトのローテーションは、男子は私と古株のバイトの二人である。女子も二人いたので、合計4人のバイトがいた。

とりあえず、私たちは挨拶を交わして、4人揃って店長の前に整列した。

店長は店先を気にしながら、訓示を始めた。

「実は昨日、お客さんが夜の九時過ぎに、うちの店にお礼を言いに来た。極道っぽいおっさんと、かわいらしい十歳くらいの女の子だった」

それにしても、店長がわざわざみんなを集めて話をするなんて、異例なことだ。心なしか嫌な予感がして、全身の産毛が予知能力と騒いでいる。

「ハッサン、ちょっとこっちへ来い」
元暴走族の店長が私を呼ぶ。

知らん顔できるほど根性もないし、茶目っ気もない。朝からアドレナリンが出放題、内臓もそろそろ弱っていた。

店長の横に立つと、みんなの視線が一斉に私に向けられた。

「そのおっさんの言うことには、この店の店員で本当に親切な兄ちゃんがいたんだそうだ」

親切? 読みきれない言葉だ。

「先日、おっさんと女の子が、二人でこの店に来たとき、女の子がアイスクリームを買ってイートインしたらしい。いざ勘定をする段になって、おっさんは慌てた。財布を忘れてきたらしい。だが気づいたときには遅かった。女の子はアイスクリームの蓋を開け、もうほとんど食い尽くしていたというんだから、間抜けな話だ。なぁ、ハッサン、お前もそう思うだろう」

店長が私の肩に手を置いた。どうやら同意を求めているようである。私はそれを無視して、愛想笑いを繰り返した。

「そのとき、レジにいた店員が、いいですよ、俺が払っときますから、今度来たときにお金を持って来てくださいね、と言ったらしい。おっさんは、余りにも倫理観に溢れたその店員の行動に感銘を受け、家に帰ってから布団を被ったままで、しばらくの間、鳴き声が止まらなかったと俺に打ち明けた。いい話だ。みんなもそう思うだろう」

店長は私の肩に手を置いたまま、今度はみんなに向かって同意を求めた。私のほうは深刻だった。嫌な予感が、宅急便で大量に送られてくる。

前に立つ三人のバイト仲間は、困惑と感動の入り混じったうつろな姿勢で立っていた。

「そうか、みんなもそう思うか。俺も感動した」
店長は私のほうを見た。大きな前歯をむき出しにしている。肩に置く手には、これでもかっていうくらい、力がこもっていた。

「その親切な店員というのは、信じられないことだが、どうやら、ハッサンであるらしい」

えっ? 私が親切な店員?

店長の唇が大きく割れた。

「おっさんが言うには、胸の名札には、間違いなく春と書いてあったというんだ。それに、おっさんはその店員の特徴を次のように語った。女の腐った奴みたいな、肩まで伸びた長い髪。どこか内臓でも患っているのでは、と心配になるほどの色白の肌。身長は一メートル七十五くらい。目玉は五百円玉のように丸くて大きい。鼻筋はややうねりながら突き出し加減。唇は薄情そうに薄かった。不可解なことだが、犯人のモンタージュ写真を見せられるかのように、ハッサンの特徴に瓜二つじゃないか。それでも俺はまだ信じられなかった。何度も確かめた。だがおっさんは、 賭けてもいいとまで言い切った。この事実から判断すれば、おそらく犯人はハッサンに間違いない」

目前の三人のバイト仲間が、吹き出すのを必死で堪えていた。

店長の話し方は、夏の夜の怪談話のようだった。おそらく身内の葬式でも、ここまで暗い弔辞を述べる人は少ないだろう。

ようやく思い出した。

あの夜、あのおっさんは、極道っぽいどころか、どう見ても正真正銘の八九三だった。

額はMの字に禿げ上がり、額の線と並行して眉毛が両端に伸びていた。目は爬虫類に意地悪をして怒らせたような鋭さがあり、しかも、鼻の穴が口と同じくらいの横幅を持っていた。

迫力も、握力もありそうで、私は心底、怖かった。

それにひきかえ、連れの女の子のかわいかったこと。市松人形にフランス人形をブレンドして、フレッシュを入れてかき混ぜたくなるほどかわいかった。

ブルーベリーアイスクリーム、だったと思う。

女の子は、私がカウンターにアイスを置いた途端にかぶりついた。あの様子では、アイスクリームは滅多に食べたことがないのだろう。

とにかく素早かった。

そのあとで、勘定の百六十円、消費税込みで百六十八円です、と私は用件だけを簡潔に述べ、おっさんから視線を外して俯いた。

どうしようもなかった。私は目を合わすのが怖かった。あの風貌は反則だ。店長と大して変りがない。

そうすると、おっさんが急にそわそわしだした。上着やズボンのポケットをまさぐったりする。本当に落ち着かない様子だった。

ひょっとしてこのおっさん、シャブ中かな、と思って、生きた心地もしなかった。

お金を払え、なんて言えるはずがないじゃないか。私はそんな無神経なタイプじゃない。

しばらくそうしていたら、ほんの数秒のことだったのかもしれない。だが、私にとっては、月曜日の医者の順番待ちよりも長い時間に思えた。

やがて、おっさんは俯いたままの私に向かってこう言った。『悪いけど兄ちゃん、財布を忘れてきたわ。すまんのう』

あの状況で、あのおっさんに親切にできないような非常識な人間が、とてもこの世の中にいるとは思えない。

確かに、店長の言うように、私は本当に親切な店員だった。

間違いない。

バイト仲間が拍手で私を賞賛した。

ところが店長の一言が、せっかくの和やかな雰囲気に水を差す。
「まだ、この美談は終わっていない」

全身の毛穴から、緊張感を伴った皮膚呼吸の音がした。

私の体は妙に怯えている。

「最近はこういう店も便利になったもんだ。コンピューターで事務、営業管理全般をカバーしてるんだ。レジデータはオンラインで取り込み、売り上げ情報なんかも即座に本社に送っている。瞬時に損益計算書なんかも作成できるほどなんだから、まったく恐れ入る。そのシステムのことを、我々はISPと呼んでいる」

話の内容がつかめない。

「実は先日、本社から勘定が合わないと連絡が来た。金額は百六十八円だ。アイスクリームの売値と微妙にシンクロしている。これがどういうことか分かるか。えっ? ハッサン」

店長の視線が五寸釘のようになって、私の額に突き刺さった。

あの夜、私は確かに親切なバイトだった。「いいですよ、俺が払っときますから」そう言ったのも事実である。

だが、そのあとレジにお金を入れたかどうか、はっきり言って思い出せない。

記憶の中に深い霧がかかっている。思い出すことを、潜在意識が邪魔しているような感じがした。

私は別に悪じゃない。結構正直なところもあるし、茶目っ気もある。憎まれるタイプでもなかったし、暴力も反対だ。

それでも、あの状況でレジに正直にお金を入れるほど、お人好しでも間抜けでもなかった。

はっきり言って、微妙な人格である。

たとえ記憶になかったとしても、私があのあと、レジにお金を入れていないことだけは明白だった。私自身が確信している。

弱った。観念するしかない。だが、その原因が百六十八円だということに、釈然としない気持ちで一杯になった。

あまりにも金額が少な過ぎる。

葛藤が胃袋の中で暴れていた。

「すみませんでした」
でも私はすぐに謝った。

店長は元暴走族、おまけにマグロ漁船に乗っていた。よくよく考えてみれば、迷う必要のない選択だったのである。

「ということで、今日も一日頑張っていこう。今朝言ったことをこれからの人生の教訓にするように。ハッサンの行為自体は中々いい。だが、完璧にハッサンは品性にかけていた。性格的にも問題がある。君たちは内面を磨くように。以上だ」

というわけで、良い子は必ず、内面を磨くことに重きを置いてください。なお、この記事は基本的に実話ですが、多少の誇張があることを告白しておきます。

店長との思い出ばなしは、次の記事にもあります。

www.8ssan.com

長い記事を最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

他のカテゴリーの、先頭の記事を紹介します。

ルーツ: www.8ssan.com

わるぢえ: www.8ssan.com

別の世界に住む家族: www.8ssan.com

駅前第四ビルが愛した植樹: www.8ssan.com

逆さに見える空: www.8ssan.com

www.8ssan.com

などがあります。時間があれば、ぜひ読んでください。よろしくお願いします。