駅前第四ビルが愛した植樹

何も持たない君に、武器はもう必要ない。

間違いなく、お前は病気だ

私は一度だけ、首の後ろに奇妙な気配を感じたことがあります。

間違いなく、お前は病気だ

心霊体験とかいうやつを、真顔で語る人を私はあまり信用しません。信用しませんが、私はときおり、真顔で心霊体験を語ってしまいます。

ロッキーズ(ケンタッキーの日本2号店)でアルバイトをしていたころの話です。

店長との思い出ばなしです。

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夜の8時くらいまでは、店は凄く忙しいです。遅番は二人だけなので、店長がカウンターに出ると、私一人で厨房を切り回さなければなりません。

ただし8時を過ぎると、客はほとんど来なくなります。

「おい、ハッサン。そろそろ裏のごみを始末して来い」
店長の声です。

サンキュウボックス(ごみ箱)に溜まったごみは、ごみ袋に入れたまま、裏口を出たところに小山のように積み上げてあります。

ごみ処理をするのは、遅番のバイトの仕事でした。

ごみ収集車はジャスコの駐車場の端に止めてあるのですが、そこまで台車に乗せて運ばなければなりません。

距離にして百メートル強といったところ。二袋ずつ運んでも、十往復から十五往復くらいする必要がありました。

夏場は汗だくになります。

制服は冬でも半袖ですが、冬場の方がこういう仕事は楽でした。

あたりは真っ暗です。人っ子一人いません。ジャスコの閉店時間は、もうとっくに過ぎていました。

店には店長しかいいません。さすがの店長も、ここまで追いかけてくるわけにもいかないので、疲れると少し休憩したりしながらの作業でした。

ごみ収集車の陰に隠れて座ります。コンクリートの地面が尻を冷やしてくれました。灯りはほとんどなくて、暗闇の中にたった一人です。

そんな空間に身を置いていたからかもしれません。

なんだか急に、首の後ろあたりが重たいような、おかしな感覚に襲われたんです。何かがいます。絶対にいます。

駐車場の隅にあるトイレに飛び込みました。鏡の前に立って恐る恐る確認しました。

首の後ろには、やっぱり誰かがいます。

首の後ろに巻き付いているのは、人間のようでした。暗闇の中でも顔が白くて、唇は真っ赤です。

私は強烈な悲鳴をあげて、店に戻りました。

「店長」
叫びました。こうなったらたとえ店長でも、居てくれて心強かったです。

「どうしたんだ、そんなに慌てて。店の中で大声を出すな」
幸い店内にはお客さんは居ませんでした。

あわてて首の後ろにいる妖しげなものの存在を、店長に説明しました。

店長は私の話を黙って聞いていました。普段の店長からすると、不気味なくらいに落ち着いた様子に見えました。

話し終わった私は、肩を揺らさないと呼吸も苦しかったほどです。

ところが店長は私の話を鼻で笑うような調子で切り捨てました。
「なんだ、そんなことか」

頼りになりました。店長と二人で遅番のバイトをしていて、本当に良かったと思いました。

「俺、病気じゃないっすよね」
店長の大丈夫だの一言を、私はじっと待ちました。

「いや、病気だ」
ところが店長は、意に反して断言しました。

「心の病気にはな、精神分裂病というものがあるんだ。症状としては、幻覚や妄想に悩まされ、思考や行動に支障が出る」

店長の言葉はノーベル科学賞のように重厚でした。

病院のカルテに、店長の言葉をそのまま書き込んだとしても、婦長さんですら怪しむことはないだろうと、私は思いました。

「そんな顔をするな、お前が分裂病だと言っているわけじゃない。順を追って説明しているだけだ」

頼むから、結論から先に言ってほしい。

「ただし、病気なのは間違いない。分裂病とそっくりな症状の、ある病気のことを忘れちゃいけない。その病気にかかると、一時的に幻覚と妄想に悩まされ、思考と行動が激しく乱れる。実は、俺もその病気にかかっているんだ。症状がひどくなると、胸が締めつけられるように痛んで、目の奥には血液が溜まり、湧き出るように涙が溢れてくる」

最悪だ。ご愁傷さま、などと言いながら、周囲の空気が私を憐れんでいます。

まさか、店長と同じ病気だったとは──そういえば、店長にはおかしなところがたくさんあった。実は病気だったと言われれば、全面的に納得できました。

「よく聞け、ハッサン。お前の病気はな、恋の病だ」
なんて甘酸っぱい言葉の病気なんだろう。

「首の後ろに巻き付いているのは、女顔だったんだろ?」
確かに、そうだった。

「お前は身の程知らずにも、女に惚れた。そのために発病、幻想と妄想がお前を襲い、思考と行動を狂わせ、体まで蝕んでいるんだ」
店長の瞳はまるで、顕微鏡のようでした。

「何科の医者にかかればいいんでしょうか。まさか、性病科へ行けとか言わないで下さいよ」
「残念だが、性病科の医者ではこの病は治せない」

店長は葬儀委員長のような表情で俯きました。

「じゃあ、いったい何科の医者へかかればいいんです。教えてください」
「精神科の医者なら、あるいは治せるかもしれん。ただし、治療は想像を絶するものになるだろう」
店長は私から目を背けました。

「助けてください。店長」
店長の口もとには、キリストのような笑みが浮かんでいました。

「心配するな。俺なんか、好きな子と二十四時間会話をしている。一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、二人で寝たり。もうかれこれ一年近く恋の病で楽しんでるんだ。それでも、普段の生活にはなんら支障はない。それに、俺の場合は、相手も俺のことを憎からず思っているから長引いているんだが、お前はすぐに治る。俺に任しておけ、必ず治療してやるからな。見込みのない恋の病なんて、早めに治した方がいいんだ。長引けば長引くほど、治療の際の苦痛も大きくなる。早速、取り掛かろう」

「治療って、何をするんですか」
店長が私を治療する──考えただけでも身震いが出ました。

「いいか、幻想や妄想は自分に都合のいい展開ばかりになっているはずだ。そんな妄想の中で暮らしていると、あっという間にお前は勘違いをする。彼女も俺に惚れている、なんてな。ありえない。全く可能性のない話だ。それをおまえ自身が認めればいいんだ。そのためには、彼女に会い、告白する。そして、完膚なきまでにフラれる。それで、お前の女々しい心も悟るだろう。俺なんかを彼女が好きになるはずがない、お前がそれを認めれば、妄想や幻想は消えてなくなる」

なんとなく筋が通っていました。まるで小学校で習った算数みたいです。でもいったい、彼女って誰なんでしょうか。

「ちょっと待ってください。よく考えてみます」
私はようやく、踏みとどまりました。

すると店長の態度が豹変します。

「考えるって、いったいどういう意味だ」
「いえ、その、健康保険のこともあるだろうし……」

「失恋というのはな、もともと惨めなものなんだ。いいか、お前はこれから、もっと惨めになる。踏みつけられる。だが、それもこれも全て治療の一環なんだ。医者へ行ってみろ、こんなもんじゃすまないぞ。病室の窓には、間違いなく鉄格子だ。そんな場所で、しばらく生活をすることになるだろう。家族の面会もままならない。もちろんテレビなんかも、部屋にはないぞ。看護師さんが、若くてきれいな女の子だと思ったら大間違いだ。そういう病院はな、経験が特に必要だから、まず、看護師さんが四十前ということは有り得ない。しかも、患者が暴れたときに体力がないと務まらないから、その辺の肉体労働者よりも筋肉隆々だ。そういうところで、最低一年くらいは暮らさないといけない。その覚悟はあるのか」

「いえ、それは」
「いえ、それは? いえそれはってなんだ。言ってみろ。なんだその顔は、文句があるのか。いいんだぞ、別に俺は。お前が病院暮らしになろうがどうなろうが俺には関係ない。俺が手を引けば、明日にでも病院関係者がお前のアパートへ行くだろう。お前はたちどころに取り押さえられて、救急車に乗せられる。四時間くらいは走ることになる。郊外の病院になる可能性が高いからな。道中は目隠しをされる可能性もある。それでもいいのか。そうなりたくなければ、俺の治療を信じるんだ。分かるな、ハッサン。俺はお前のことが心底好きで、助けたいと思っている。俺を信じるんだ」

嫌だ。絶対に病院には行きたくない。

「すみませんでした。俺のことを心配してくれている店長の気持ちも考えないで、勝手なことばかり言って、本当に謝ります」

私は素直な気持ちを店長に告げて、それからどうしても気になっていることを、一つ質問した。

「店長。一つだけ聞いてもいいですか。その、なんていうか。俺の首に巻き付いてる女っていうのは、いったい誰なんでしょうか」

問いかけずにはいられなかった。確かめないと、将来に重大な不安が残るような気がしています。

店長は優しい目を私に向けていました。同情と、哀れみと、蔑みの一杯こもった一重瞼の瞳でした。

「言ってもいいのか。これを言うとな、お前は少なからずショックを受ける。それでも言えって言うのか」

余りの迫力に、私は二、三歩後ずさりました。

聞かなくても、いいかな、などと戸惑いながら、店長を見ました。

「お前の勇気に敬意を払うよ。自分がどれだけおかしいか、それを知ろうなんて、中々できることじゃない」
そこで店長は一呼吸おいて、それからまた強い口調で話します。

「いいか、言うぞ。お前の妄想の中で、恋人を演じているのは、紛れもなくお前自身だ。お前の中のおかまっぽい性質が恋人に成りすましてるんだ。女言葉も平気で使う。俺のガールフレンドなんて、お姉言葉から鼻にかかった色っぽい声まで、臨機応変に使い分けるんだぞ。だからといって、異常なわけじゃない。これだけは言っておく、余り気に病むな、お前の中のおかまは、普段は出てくることは、絶対にない。おとなしいもんだ。上手く付き合うことだ」

あまりにも強烈な店長の回答でした――ファイナルアンサーだろうか。

「情けない顔をするな、心配することはない。とにかく俺に任せておけ。明日のバイトは何時からのローテーションだ」
「13時から18時です」

「明日は休め。家でゆっくりしろ。みんなには俺からうまく言っといてやる」
不安だ。店長の性格を、どうしても私は信じられませんでした。

「なんだその顔は、信用しろ。お前の中でおかまが芽生えたなんて、絶対にみんなには言わない。俺は男気だけはある。お前の秘密を知ったら、女子のバイトもお前には寄りつかなくなるだろうしな。いや、それどころか、バイトを辞めさせてくれなんて言ってこられたら、それこそ店のピンチだ。秘密は守る。病気も治してやる。だから明日は休め。なっ」

こんなに優しい店長は初めてでした。やっぱり自分は病人なんだと、私は再確認しました。社会復帰するためには、店長の言ったとおり、明日は休んで、早急に治療して貰うしか方法はないと思ったのです。

そして私は治療代と称して、店長に2万円也を渡しました。

健康保険はきかないという話です。

本当に恐ろしい世の中だと思いました。

店長の治療がきいたのかどうかはわかりませんが、不思議なことにあれ以来、私の首の後ろには何も現れなくなったのです。

ただしあの日から、女子のバイトがなぜか私を避けるようになりました。

というわけで、恐怖の霊体験は無事に幕を下ろしました。

長い記事を最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

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