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何も持たない君に、武器はもう必要ない。

宇宙にも時間は流れているのか

時間は実は、凍った川だという説が現在、有力です。

宇宙にも時間は流れているのか

つまり宇宙の誕生から消滅まで、すでにもう、時間は存在しているというのです。

むしろ流れているのは、我々のほうかもしれません。

生命体は観測機のような物だと言う説があります。凍った川の中を漂いながら、その時々を観測して、やがて役目を終える。

確かにそう考えれば、納得できる部分もあります。

しかしなぜこういう説が生まれたのか、それを証明する手立てはあるのか、という疑問が新たにわきます。

時間の概念を覆したのは、かのアインシュタインです。アインシュタイン以前は、どこにいようが、今という時間は繋がっていると考えられていました。

宇宙には絶対的な時間が存在している、それが一般的な考え方でした。

分かりやすくいうと、大阪にいる私と、北海道にいる誰かさんの今は、常に同じ時間の中に存在していると考えられていたのです。ところがそこに、行動という要素をプラスすれば、アインシュタインが主張したように、時間というものは相対的に変化するのです。

なぜか私は急に、このブログのテーマを再確認したくなりました。

テーマも設けずに、行き当たりばったりで記事を書いていくのは、ハッキリ言って、私にとっては苦痛以外の何者でもありません。

私は何でも分類したい衝動に駆られる性格です。ブログにしても、同じことです。

カテゴリーという意味での分類ではありません。このブログをインターネットの中で、どこにどんな風に置くのか、それが気になって気になって、ときには寝られなくなってしまうことまであるのですから、かなり病気です。

正直に言うと、私はややブログの記事を書くことに飽きがきています。

自分のことを書き、長女のことを記し、多少の雑文を載せ、正直に言うと、もうあまり書きたいことは残っていないのです。

ブログを立ち上げた当初の目的は、達したと言っても差し支えありません。

一つだけやり残したことがあるとすれば、私が書いた小説の中で、長女がもっとも好きだった作品を載せたかったのですが、ブログに小説を載せるのは、あまり芳しい行為とは言えず、断念しました。

となるともう、更新意欲がわいてきません。ここ数日、私は私なりに葛藤のさなかにありました。そんな私がいつものようにディスカバリーチャンネルを見ていると、ふと閃いたことがあったのです。

私は根っからの宇宙好きです。

ある意味、病気といってもいいくらいの、ディスカバリーチャンネル愛好家です。

ならば宇宙のことを書けば、私自身も楽しめるし、下手な小説なんかを載せるよりもずっと、迷惑な行為を抑制できるのではないか。

これは我ながら名案でした。唇をゆがめながら、たった一人で膝を叩きました。

そこで先ほどの、時間の話に戻ります。

宇宙に絶対的な時間は存在しないというのは、もはや疑うことのない真理だと言えます。

たとえば、大阪にいる私と、北海道あたりにいる誰かさんの今は、じっとしていれば、一定の時間で繋がっていますが、北海道にいる誰かさんが、自転車にでも乗って私から遠ざってしまうと、私と北海道にいる誰かさんの今は、じっとしているときとは、ほんのわずかですがずれてしまうのです。

大阪と北海道では時間の変化と言っても、微々たるもんです。

しかしもしもこれが、何万光年も離れた場所にいる生命体と、今ここにいる私との間でなら、驚くほどの時間のずれを実感することができます。

アインシュタインの時空という考え方は空間に時間をプラスした要素を言います。

私は今ここでブログの記事を書いています。そのとき、大阪駅では娘が環状線に乗るところです。東京では息子が仕事を終えて帰宅途中で、月にはなんと、隕石が衝突する瞬間でありました。

宇宙のかなたでは今まさに、星が一つ消滅しようとしている場面だったとします。

これらは今という特定の時間で繋がっています。それぞれが今その瞬間に起こっていることだと言えるのです。それがまったく変化しないものだというのが、アインシュタイン以前の考え方でした。

しかし時空と言う考え方に行動をプラスすると、今という時間は相対的に変化してしまいます。

私と何万光年も離れた場所にいる誰かさんの今は、双方が動かずにいれば、同じ時間で繋がっています。ところが何万光年も離れた場所にいる誰かさんが自転車にでも乗り、私から遠ざかったとします。

すると時間が相対的に変化してしまうのです。向こうにいる誰かさんから考えた場合、彼の今と繋がっているのは、私が生まれるよりも、ずっと昔になってしまいます。

しかも彼が進む方向を変えて、こちらへ向かって来れば、今度は彼の今は、地球の時間からすれば、私がいる時空ではなくて、ずっと未来になってしまうわけです。

このことから言えるのは、時間は流れているわけではなくて、もうそこに、最初から最後まで存在しているということです。

でなければ、何万光年も離れた場所にいる誰かさんの動く方向によって、過去や未来と連携できないはずです。

実は宇宙が消滅するその瞬間まで、もはや時間は存在している、この仮説は果たして、我々にとって朗報でしょうか。未来がすべて決まっているというのも、やはり味気ないことかもしれません。

シュレーディンガーの猫のように、箱から出るまで生死が分からないほうが、人間的なロマンを感じます。ただし私には私自身がたとえ一介の観測機であったとしても、それはそれで興味深い出来事だと思って、受け止めたい気持ちでいっぱいです。

最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました。

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